比べた先にあるものは。。。
自分の内に目を向け感じていれば
比べたってOK
「自分がどうありたいか」
だけの世界。。。
6月に書いたものを再アップ
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昨日の夜
ふと、数年前に通っていた「朝の瞑想道場」での
住職との会話を思い出しました
朝の瞑想道場は
市原市にある通称「あま茶寺(法光寺)」で朝の6時半からスタート。
今でもやられているのか。。。
気になる方はあま茶寺さんのHPで確認してみて下さいね。
2年ぐらい前に約1年ほど
行ったり行かなかったりでしたが
四季折々のお寺を感じながら
春にはウグイスの声が心地よく
本堂の畳の上で瞑想させてもらっていました。
昨日思い出したのは
「人と比べてしまう自分に悩んでいた時」
同業職の方
あるいは全く違う職業の方
誰かと比べて
自分はまだまだと
自己肯定感を低くしてしまったり
あの人よりはできていると
自分を上に見ていたり。。。
比べることで心が辛くなっていくのに
比べてしまう自分が嫌で嫌で
瞑想の時にそんな話になって
住職から問われたのが
「なんで比べてしまうんだと思いますか?」ということ。
この頃はまだ
いい答えを出さなきゃ
正解を言わなきゃ
こういった感情に固められていた時なので
自分の思ってることが
正解なのか不正解なのか
まず頭で考える癖がありました
すんなり感情をだせていなかったんですよね
「正しいことをしないと、正解を言わないと、完璧になってから」
頭で考えるから
言葉にするのに時間がかかる
でもそれを住職はじっと待っていてくれました
「なんで比べてしまうんだと思いますか?」の問いに、
私からでた答えは
「比べるもの(人)があるから。。。」
恐る恐る自分の考えをいった記憶があります。
(正解・不正解の世界にいたからね)
住職からこう続きました
「そう。比べる対象があるから比べるんですよね」
「だから比べることは悪くないですよね」
「2つ(2人)存在すれば、比べますよ」
その後の会話は思い出せなかったんですが
今、
比べることが「悪」なのではなく
比べた先に何があるのか
そこが重要なんだって考えになっているってことは
思考のチェンジができたきっかけを頂いたんだと思います。
人と比べて得るものが
自分を下に見て、必要以上に自信をなくすことなのか
自分を上にみて、他人をマウントすることなのか
人と比べて
その比べた先に、憧れがあることに気づき
そうなれるよう努力することで
自分に愛をむけることなのか
他人は他人
自分は自分
自分軸を太く高くしていくのか
隣の芝は青い
それを羨ましく思うのではなく
だったらうちの芝も青くしようと努力してみる
むしろうちの芝はただの芝じゃなく
自分が見ていて心地いい
寝っころがって心地いい
自分の心地よさが優先の芝にしようと
「質」について考えてみる
比べることが悪いわけではなく
比べた先が重要
比べる必要すらないってよく言うけど
私は比べてもいいと思っています
比べた先が自分を成長させるものならば
まだね
たまに誰かと比べて
自分を卑下ずる癖が抜けない時もあるんです^^;
でもそういう時は
比べたその先に「憧れ」「なりたい姿」があることに気づいているので
すぐさま思考の切り替え
なりたい姿になるために
今、自分ができることを考えるようにしています。
住職へ
朝の瞑想道場から
朝んぽになった今
変わらず自分の内側との対話を続けています。
(住職に届きますように。。。)
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